臼の手入れ と 思うこと

この記事は約2分で読めます。


あと幾日もしない間に2000年を迎えます。2000年になるからといって特段変わりはありませんが、新年を新年らしく迎えたいと思っています。
年令を重ねるごとに新しい年を迎える感慨が薄れているので、せめてその時期のまつりごとだけはしっかりやろう、というのが私と妻の一致した意見です。
私の正月といえば餅つき。私が子供の頃の正月前には、あちらこちらから餅をつく音が聞こえたものですが、最近は電気餅つき器が普及したり、餅そのものを食べなかったりということで、めっきり家庭での餅つきは見なくなりました。我が家も食べる人が減ったこともあり、ここ何年かは餅をつきませんでした。
私は、今年山梨に帰ってきたことを機会に餅つきを復活させることにしました。ところが蔵から臼を出してきてびっくり。使わないと道具は劣化するもので、臼全体に虫が穴を開け、表面が乾燥してスカスカになっていました。私が子供の頃は艶がありピカピカだったので、今のありさまはたいへん気の毒に見え、できるだけ補修をしようと思い立ちました。口の部分は痛みがひどかったので、ノコギリで2センチほど丸く切断、表面にヤスリをまんべんなくかけました。写真は口の部分をノコギリで切っただけの、手入れをする前の物です。
午前中いっぱいをこの作業に費やしましたが、今日は肝心の餅をつく部分の手入れまで行き届きませんでした。

今日補修をしながら、二つの事柄を思い出しました。
一つ目は、だいぶ以前に新聞で読んだ記事で、ある僻地(へきち)の少数民族の話だったのですが、その部落はあえて電気を引かないそうです。隣村までは電気が来ているのですが、あえてひかないのです。その理由は「自分たちの生活のリズムが狂わされるから」だそうです。
二つ目は、新婚旅行の時偶然見学したミッション系高校の卒業式で、牧師が「君たちは先人が築いてきた偉大な遺産を継承し、それを高めていかなければならない」と話していたことです。

世の中はどんどん便利になっていきますが、便利になることだけを追求し、今までのやり方をそっくり捨ててしまうのは本当に幸せか?とあらためて思いました。不便が素敵であることも多くあると思います。そんな不便をいっぱい知っている者になりたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました